思索の条件

最近本は読まないわ、ウェブの巡回はしないわで、この世の中という社会の取っ掛かりに遭遇しない日々が続いている。
そもそも本なんてほとんど読んでこなかったんだけどね。
ウェブドキュメント世代なんです。
本媒体に慣れ親しんでもなければ、それ自体になんの執着心すらも萌え出ずることはないのです。
ただたんに、読み始めればすすんでいくよ、そんな程度。
ゲームと一緒で、自発的な衝動を持たぬ単なる消費行為に他ならない。


・・・他ならなかったはずなんだけど、思いのほか、本を全くといっていいほど読まなくなった状態にいざ陥ってみると、密度のこゆい情報や様々な入り口への誘引がなくなってしまうことが、どれほどまでに人間の知性を貶めるものであるかということにはっとする。
脳みそはやつれ、やる気はなくなり、やがて脳みそくんは鬱になって。
自分は元気だけれど、脳みそくんはぐうたら日がな一日カウチポテチ行為を延々と繰り返しているという状態なのだ。


人間がなにかしらに発奮し、考えをめぐらせ衝動的な行為行動へとすすむためには、外界よりの様々な芽や種が必要なのだろう。
それらを移植することでしか新たな種の爆発的な攪拌は引き起こされないのだ。
精神における安定した生態系というのは、すなわち同じ行為を繰り返すだけの、非生命的な状態なんじゃないだろうか。
部分部分において、常に侵略的外来種を積極的に導入してやることで、私という星全体での種の多様性は更に深まるのである。


イリオモテヤマネコは野蛮かわいい。