ネットをしない生活、する人生


ここ数日間、といっても二日間だけなんだけど、
パソコンを触らない生活を送ってみることに成功した。
成功した、というのは少々言い過ぎの感もある表現だけれども、
中毒気味でいて夜更かし気味な私の生活にとっては、
非常に有意義のある生活様式だったように、今となっては思う。



普段、私のネットライフ(わらい)は風呂から上がって、
まだその余韻が残るさなかに行われる。
まずはタブブラウザSleipnirを起動して、
その次にメールソフトであるThunderbirdを起動する。
起動時にサーバへは接続しないように設定してあるので、
すべてのメールアカウントの送受信を命令してブラウザ画面に戻す。
これらの作業は基本的にすべて全画面表示で行う。
なぜならいくらマルチタスクといっても、人間までそれに倣う必要はないと考えているからだ。
シングルタスクの方が頭も冴えて能率もあがるし、
適度な情報量を的確に判断するのには、一つのことに集中できた方がより良い成果が齎される。
そうした面倒なことはPCへと任せてしまって、
すっきりと目の前のことに没頭した方が興味の度合いが高まり、望ましいと私は思う。


そうしてメールチェックをしている間に、いつものネットサーフィンもとい巡回を行う。
巡回先としてブックマークに登録してあるものを、
ひたすらクリックし、すべてタブで開き、予め読み込ませておく。
とはいえ実質的には数個ほどなので、ADSL環境の我が家であっても、あっという間に終わる。


次にすべてのサイトを読み込み終わったら、
一つずつ巡回して閲覧していく。
気になった事項やら、知らない単語や概念に行き当たったら、
その都度、検索窓に放り込んでおく。
その記事をあらかた読み終えて、タブを閉じる頃には、
その記事内の検索したい事柄がタブとして溜まっているというわけである。


それらの諸知識を処理し終わったらば、次のサイトのタブを開き、同じ動作を繰り返す。
もちろん記事の内容に関わることは読み飛ばしできないから、
その都度意味を確認することになる。
このあたりは適宜柔軟に対処していくことになるので、特に方法論は決められていない。


この際に、気になった事や別の日に調べることについては、
それぞれタブとしてそのまま残しておく。
これらが簡単な覚え書きとして、日を跨いで機能するというわけだ。


そうしてすべての巡回を終えたなら、
送受信しておいたメールをバシバシと捌いていく。
それらの大半が迷惑メールなので、
迷惑メールフィルタから外れて残ったものを除外してゆくのである。


残った新着メールのうち、内容を読んでいき重要なものについては、
マークをつける機能を使い、チェックしておく。
もちろん返信すべきメールはそれぞれ対応する。
メールマガジン等の気になったURL等はすぐには閲覧せずにただクリックしておき、
裏で動いているSleipnirへと渡しておくことで、無駄な思考を挟まずに済む。


以上でメールチェックは終了したので、
メールソフトにはお暇していただくことにして、
次に起動させるのは2chブラウザ(Live2ch)である。
Live2chを使っているのは、単に使い馴染んでいるという理由からだけなので、
とりわけて意味は無い。


そして2chブラウザにお気に入りの新着チェック巡回をさせている間に、
Sleipnirへと切り替えて、また溜まったタブを処理していく。
そして新着チェックが終わったら、先程のメールチェックと同じように、
それぞれ流し読みしていき、気になったものはタブブラウザへと流し込んでおいて、
チェックが終わったら2chブラウザを終了させ、また開いておいたタブを処理する。
ここでも書き込んでおくことがあったら、その都度適宜行っておく。



そうしてタブブラウザを使いながら、日常の巡回を流れの作業として済ませるのである。
この一連の動作に掛かる時間は、せいぜい数十分〜1,2時間程度なので、
就寝前の知的収集、蓄積にはもってこいな作業というわけだ。
人間の脳の情報蓄積処理体系は、就寝時に活動し、選別と定着を行うわけであるから、
最も鮮明に記憶が残る就寝前に情報を摂取するということが、
一日の間では最も一番有効な記憶時間を利用した知的活動だと考えられる。


ただこれには一つ欠点があり、モニタから発せられているまぶしい光は、
人間という規則的な活動を行う動物にとって、
夜を夜と正常に認識できなくさせる効果を持っている、ということだ。


この点においては、ある種のトレードオフが必要と私は考えている。
睡眠の質は落としてはいけないが、記憶や知的活動の質も落としたくは無い。
それらは一種の相反関係にあり、互いに繋がり影響を及ぼしあっているものであるから、
どちらかのクオリティが劣化してしまうと、もう一方もその影響を受ける。


ただしこの場合、一概に良い悪いが表面化するわけではなく、
例えば、夜更かしして睡眠の質が落ちると、記憶の質も低下するわけだが、
夜更かしして記憶の質を高めようとすると、睡眠の質が落ちる、という
一種のジレンマとしての側面を強く持っている。


このジレンマをうまく折衷させて、日常のバランスをうまいこと取っていく、
というのが日々パソコンを知的活動(大仰)に活用している人間の
最も悩ましく思い、かつ楽しみなところなのだと、私は思っている。



そうした理由もあって、
パソコンを使わず、またネットを利用することのない、
依存関係から開放された生活というのは、ある意味快感というか、快活なものであった。


もちろん長くは続けられないが、
睡眠の質は格段に向上し、生活のリズムも元通りに引き戻され、
なおかつ廃人のような感覚に陥ることもなくなる、というのは、
私にとって進歩したと思っていた生活に疑問を投げかけ、
にわかに挑発し、停止した生活への思考をいま一度取り戻させる福音でもあった。



驚異的な速度で更新される情報の渦となった社会に対して、
動物である人間としての利用者側は、停止してはいまいか。
更新が必要である。