本を読む、読まないの分け隔て

この記事は 本を読まない人間 を読んで書いたものです。
http://anond.hatelabo.jp/20080905042139


 本を読むことは、情報を得る、というよりも考え方を読む、といったほうが正しいのではないかと思う。
 本は一人の人間の、それまで生きてきた経験や得てきた知識、そしてそれから生み出された独自の思考や意見といったものの集大成である。だからこそ私は本を読むことに対して何の違和感も持たないし、本を読まない人のことを考えたこともなかった。

 はっきり言って本を読まない人と読む人の差など、大したことではないと思う。
 大きな差があるとすれば、それはその人が歩んできた人生の方に問題があることが多い。つまり本を読んでいないから何かが足りなかったり、どうしようもない癖があったりするのではなく、本を読まないで済んでしまうような人生であったり、本を読むきっかけに触れることの無かった生育環境だっただけのことだろう。

 ただ論点がずれるようではあるが、二元論的に人の種類を分類するならば、どちらも有用であるということを忘れてはならない。
 「この世で一番困ったことは、すべての人間の言っていることが正しいということだ。」とはよく言ったものだとつくづく思う。
 そして実際の経験から得られるもの、という分け方も極めてあぶない。これは知識と経験が互いにフィードバックされながら得られるものを、おおまかに排除してしまう方向に導いているように思えて仕方がない。
 現実的にみて、経験することから知識が生まれ、知識から経験の豊富さやボリュームが生まれるのであるから、単純に本を読まない人は知識が少ない、といったことを言うことは出来ない筈である。

 まぁ実際には典型的な二元論者的思想を持った人など少ないだろうから、そんな話をする必要はないのかもしれないけれど、本を読む意味を考える上で、経験と知識に纏わる話は避けられないものだとも思うのである。


 個人的な意見でいえば、本はさほど読む必要もないが、全く読まないのは問題である、といったところに止まるだろう。
 つまるところ、個々人のメンタリティがどう構築されていって欲しいのかといった、考え方にも依るだろうと思う。

 例えば空想世界についての不思議的な思考を磨きたいのであれば、実生活に何の役にも立たない物語を読んでいれば良いわけだし、料理のバリエーションを増やすためにオリジナルのレシピを創作したい場合には、程よく網羅されたレシピ集を一冊買ってきて読んでみればいい。

 これは素直なところ、両者ともどもに、必要だから読む、ただそれだけの話なのだ。


 私達は日常の中で、ついつい世間一般の価値観と己の価値観との相違を気にしがちだ。けれども本を読むことほどに、パーソナルな行為は滅多にないだろう。本を読むときに人様からの見え方なんて気にしている人はそうそういない。
 自身を振り返ってみて、一人の部屋でじっと孤独を感じることもなく、純粋に作者との蜜月な空間に浸っている時間を思い出してみれば、本を読む意味ということを、実感として理解することができることだろう。

 その時間たちはあなたの時間であり、また私だけの時間であることを忘れてはならないのだと、ただひたすらにそう思うのである。